同窓会があるということで、夏休み後半は自宅に戻っていました。
同窓会当日の朝に整体に行き、そのまま実家へ。
時間があるので、一旦水戸に行ってから実家に戻ろうと考えました。
時間の都合上、高速バスで水戸に行くのが一番時間的に良い、ということで、初めて茨城方向の高速バスに乗りました。
水戸駅には、到着予定時刻よりも20分近く早めに着きました!
行き先は、水戸城跡。水戸駅北口から徒歩約10分。
まずはその中の
弘道館に行きました。
弘道館はもともとは今の学校に相当する役割を持っていたそうです。
徳川将軍最後の徳川慶喜ともゆかりのある施設だったそうです。
正門、至善堂を始め、戦火を免れ建設当時の状態で保存されている建物が多くあります。
至善堂には資料が展示されております。
次に水戸城跡へ。
案内板に沿って歩いていくと、水戸一高の敷地内に入っていくことになります。
本丸は水戸一高の中にありました。
また水戸城で唯一現存する建築物である薬医門も校内にあります。
個人的には、史跡を関係者しか入れない施設で利用するのはちょっと避けていただきたいですが・・・(一応史跡見学者の入講はOKですが、あまり気分のいいものではありませんでした・・・)。
旧水戸城の跡地は、文教地区ということで、公立学校が並んでいます。
その後は電車で実家に戻ります。
実家では妹の結婚式ビデオの量産作業。
これで妹の結婚式関連の作業は、すべて完了です。
最初に着手したのは、去年のGW明けから。長かった。
同窓会の待ち合わせ時間になり、家を出る。
今回は中学校の、正式な同窓会(有志ではなく、所定のフローで実施されたもの?)ということで、そこそこの規模を想定していました。
ただ、以下のように不安材料は多く・・・。
・そもそも中学時代の記憶がほとんどないので、ほとんど顔と名前は一致しないかも
・基本地元に残っているメンバーが来そう、そうするとヤンキーばかりか?
・自分自身存在が薄かったし、体型も変わった&眼鏡も変えたということで、認識されないと思われ
・中学時代の半分はいじめを受けていたから、正直一部顔すら見たくないものもいる
・そんな状況で会費が異様に高い
いざ会場に入ってみると、ちらほら見知った顔が・・・。
とりあえずマジで空気になることはなかったのでよかったです・・・。
でも、自分自身が記憶をほとんど飛ばしてしまっているので、この人誰だっけ?と思いつつ会話をしたこともちらほら。
そんなもんですかねぇ。
今以上にコミュ力なかったし。
唯一の救いは、顔を見たくないメンバーは誰一人として見かけなかったことだろうか。
他にもいろいろと思ったことはありますが、ネガティブな意見なので、ここでは・・・割愛したほうがよいかな・・・?
私の担任の先生がいらっしゃらなかったのは、少々残念でした。
2次会は正規の会から離れて、ひっそりと実施。
ちょっと会費も高いので、抜けちゃいました・・・。
結構Facebookやっている人も多いみたいだし、その気になれば何らかの形でアクセスはできるかも(まあ、FBはめったにログインしないけど)。
ただ・・・うすうすとは感じていましたが、中学の時に仲の良かった友人が、亡くなっていたことが判明してしまいました。
思いの外ショックだったのか、なかなか寝付けませんでした。
彼はもともと心臓が弱く、体育は見学することが多く。
修学旅行も、正直参加できるかどうか分からなかったくらいでした。
最終的には修学旅行に無事参加することができました。
高校入学後に私の母親経由で聞いたのですが、私が励まして強くプッシュしたことが参加の決め手だった、と彼の母親が言っていたそうです。私自身、記憶は完全に飛んでいますが・・・。
高校入学後は、休みの日に公園で、友人や後輩と野球をして遊ぶことが多々ありました。
大学入学後も年に数回、ドライブに行ったりカラオケに行ったりと遊んでいました。
中学の同窓会と言えば、確か成人式の日に行われたような記憶があります。
当時彼は入院をしており、私は成人式を早々に抜け出し、同窓会には参加せず、隣の市の大きな病院にお見舞いに行きました。
それから2年後に1度、メールをやりとりした記憶があります。
そのとき私は携帯を和式トイレを使用した瞬間に水没させるということをやらかし、連絡先の大半を失いました。
彼の連絡先も吹っ飛び・・・。
たまたまそんな状況で彼から連絡をもらいました。
確実に覚えていることは、そのときに水没事故をやらかして、連絡先吹っ飛んでて助かったよーといったやり取りをした記憶があります。
これはあいまいですが、確かそのメールのやり取りをした時に会う約束をして、ドライブに連れて行ってもらったと思います。
確か、彼の大学学科はゼミによって卒論が必修になるかどうか決まっていて、卒論必修のゼミに入ったんだーみたいな話を聞いた記憶があります。
おそらく、これが姿を見た最後の機会だったと思います。当時21歳でした。
次にメールを送ったのは、その2年後です。
私からメールを送りました。
メールの返信はありませんでした。
でもエラーで返ってこなかったため、受信はできていたと思われます。
その後私のアドレスを削除している可能性を考え、再度メールを送ってみましたが、やはり状況は変わらず。
確か電話番号は、水没事故以来知らないままで、メールだけでやり取りしていたように思います。
何となく、嫌な予感がしました。
でも、きっと連絡先削除で忘れられたかなーと、当時は流してしまいました。
葬式は身内だけで行われ、ほとんど事実は周りに知らされないままだったようです。
私の母親も噂程度ではその話は知っていたそうですが・・・。
亡くなったのはだいぶ前、ということ。
もしかしたら私が最後にメールを送ったときがその時だったのかもしれない、と思うと、彼の自宅は知っていたので、時間を作って会いに行ってみればよかった・・・と悔やまれます・・・。
私の中では今回の同窓会は、彼との思い出を偲ぶ会・・・また違った形の同窓会になったかもしれません。