青森へ(2日目:八戸方面)(2/2)

次に行くスポットは、櫛引八幡宮
根城からバスに乗って、八戸中心街に向かいます。
(後に、中心街とは反対の方向に櫛引八幡宮があることが判明orz)

櫛引八幡宮は、南部光行により草創されたそうです。
南部光行は、根城を築城した南部師行が属する南部氏の始祖にあたる人物です。

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櫛引八幡宮には国宝館があり、 赤糸威鎧(あかいとおどしよろい)「菊一文字」、
白糸威褄取鎧(しろおどしつまとりよろい)という赤と白の刺繍の鎧が置いてあります。

赤糸威鎧は、南北朝時代の南朝の天皇であり、98代目の天皇である、
長慶天皇の鎧と言われているそうです。
「日本一豪華な鎧」と言われているそうで、館内で配布されている解説シート
によれば、アメリカの大富豪が50億で売ってほしいと申し出たくらいだそうです。

白糸威褄取鎧は、南北朝時代の南朝の天皇であり、97代目の天皇である、
後村上天皇から南部信光が拝領したものとのことです。
褄取りの様式で兜・鎧・大袖などがすべて残っているのはこの鎧のみ
なのだそうです。

ところで、岩手・青森には一戸、二戸、・・・、九戸という地名がありますよね。
この名前の由来は何なのだろう?
ちょっと調べてみました。

八戸市のホームページによると・・・

・一から九の数字に「戸」が付く地名が残されている地域は、古代末期から中世にかけて「糠部郡(ぬかのぶぐん)」と呼ばれていた
・この「戸」は、古代律令制に基づく地方統治機構(自治体のようなもの)と考えられている
・八戸は「糠部」の中の8番目の「戸」ということを意味する

とのこと。
ちなみに、現在、「四戸」という地名はありません。
これもちょっと調べてみました。
Wikipediaニュースサイトしか情報は見つけることができませんでしたが、
これらによると、

・昔はあったという説が有力
・櫛引八幡宮の社務所によると、「櫛引八幡宮は、1366年の時点では「四戸八幡宮」という名前であった」、ということから、櫛引八幡宮辺りが四戸であったという説がある
・五戸町浅水が四戸であったとすれば、旧陸羽街道沿いに一戸から五戸までが番号順に並ぶことになる、ということから五戸町浅水辺りが四戸であったという説もある (ただし、奥羽街道が成立したのは後世)

とのこと。
いずれにしても、なぜ「四戸」という地名がなくなったかは、不明なのだそうです。

八戸駅に戻ります。次は蕪島に向かいます。
JR八戸線に乗り、「鮫」という駅で下車します。

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鮫駅から徒歩約15分で、蕪島に到着します。

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蕪島には蕪嶋神社があります。
蕪島といえば、ウミネコの繁殖地として有名です。

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何か用?

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神社に向かいます。

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神社に社殿はありませんでした。
去年の11月に火災に遭ったそうです(ニュースサイト)。
東日本大震災でも社殿は残り、復興のシンボルとされてきたのですが、
火災で社殿、ご神宝、祭器具などが失われてしまったそうです・・・。
今年は創建720年の記念すべき年だったそうです。

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神社のお参り後、まだ時間的に余裕があったので、
種差海岸に行ってみることにしました。

やはり時期がずれているのか、芝が海岸線まで浸食している、青々とした風景を
見ることはできませんでした。

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いつか、また夏にでも来たいなぁ。
2日目はこれにて終了!
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30代に突入した技術者。
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